委員会ブログ

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2021年04月15日

【Focus!!⑦】福岡倉庫  富永 太郎 先輩

皆様、毎日のお仕事、そしてJC活動楽しんでますか!

JCIFUKUOKA発信委員会の二塚です。

当委員会では福岡JCの偉大なる先輩たちや福岡にまつわる著名な方々にお話を伺うインタビュー記事【Focus!!】を連載しております。

第7回目となります【Focus!!】では福岡を代表する物流会社「福岡倉庫株式会社」代表取締役社長の富永太郎先輩にお話を伺ってまいりました!

Q1.入会のきっかけを教えてください。

父が福岡JCの歴代理事長だが、その父は私が小学校二年生の時に他界をしてしまって、父との思い出があまりないというのが正直な話なんだよね。

創業者である祖母が会社を興し、父が他界後、伯父がその後社長を引継いだが僕が大学生の時に他界した。私が大学卒業後すぐ96年4月に福岡倉庫に入社して、翌年に当時の社長から呼ばれてね。行ってみたら知らないおじさんが二人座っていて、入会申込書を渡されたのよ。そこで、社長からJCに入りなさいと言われて、はいと言ったのがきっかけだね。

JCの詳しい話なんて何の説明もなくてね(笑)。申込書を書いたもののどうしたらいいのかもわからず、もらった名刺に吉松建設の社長と書いてあったから電話したんだけど、その方は当時の理事長の吉松修先輩だった。後になってわかったんだけど、当時の理事長と副理事長で推薦人になっていただいた藤野利浩先輩が歴代理事長の息子が入るぞとわざわざ足を運んでくれていたんだよね。

入会したときが24歳の時で、1997年10月だった。20歳台のメンバーは数人しかおらず、半年前の入会したのが大山哲寿君で年が近いこともあり、先輩たちの悪口も言いながら酒を酌み交わし仲良くなっていったのを覚えている。

入会翌年の98年は、こども会議の10周年の年で海の中道のマリンハウスに2~3週間泊まるようになって、なんのこっちゃいとおもいながらも、バタバタとしながら大きな流れに身を任せていった。昔のことなのであまり細かくは覚えていないけど、基本的にはよくわからない中、かわいがってもらったし、よく怒られたし、面白いスタートだったと記憶している。

Q2.今でも忘れられないJCでの思い出は何ですか?

私が入会したのが1997年で、翌年には松山政司先輩が日本JCの副会頭をされ、会頭選挙があった。そして1999年に会頭になられた。入会したばっかりのころ日本JCでトップに立つ人が福岡から出るという時期だった。

当時私は横浜に住んでいて、福岡JCの例会や委員会に横浜から福岡に行っていたんだけど、松山会頭が東京にくるときに車をだして、鞄持ちをしていた。当時は何もわからない中だったけど、いい歳の大人が熱く語っているなという印象が強く残っているね。

福岡JCってこども会議もあるし、会頭も出していて、力のあるLOMで、自分たちの力でインパクトのある事業を作り出してきた。しかし、2004年に世界会議というJCI最大の事業をおこなうことになるんだけど、この規模の事業だと自分たちの力だけではどうにもならないもの。九州地区や福岡ブロックの力を借りないといけないとLOMの意識が変わっていった時期だった。

九州全体の力を借りることで、福岡のまちにももっといいインパクトを与えられるということに気づいた。そして、それを九州全体に波及させることがまた福岡のまちのためになるという大きく意識が変革していったことは貴重な経験だった。

Q3.ゆくゆくは副会頭まで担われた富永先輩ですが、出向に関してはどんな想いでいましたか?

LOMで2年委員長をした後に、世界会議を主管する2004年に井上博行先輩から専務理事の指名受けた。その後、2007年に34歳で理事長になった。井上先輩から将来を見据えて若いけど立場を与えてくれたんだと後々話を聞けてね。自分自身が努力もしたけれども、いろんな状況が整えてもらえて、若くして理事長にならせてもらったのも、その後のことを考えてくれた周りの人がいてくれたからだと思う。

福岡JCは出向に関して前向きではなかったと思う。2009年に福岡JCが九州地区大会を主管することになり、九州地区の顧問として出向して、LOMと九州地区の調整役をやった。そんな経験をしていたら、福岡JCでも理事長をやらせてもらった後だったし、日本JCに出向するような流れができてきたんだね。

2010年初めて日本JCの正副メンバーである会務常任に入ることができたんだけど、何もわからない状況に飛び込んでみたら、モチベーションや能力の高い人間が集まっていて刺激をたくさん受けて成長できた時期だったと思う。また、日本青年会議所はLOMとは違い、自分たちの地域のことを考えるのではなく、国家的なテーマ、国際的なテーマ、LOMの支援などを行う組織なので、そういうことを考えるきっかけは無かったから、新鮮な課題で本当に面白い経験をさせてもらったと思っている。

Q4.副会頭を経験されたことでの思い出は何ですか?

2010年から日本JCの役員として活動する中で、2011年3月11日に東日本大震災が起きた。東北は言うまでもなく、東京や横浜も計画停電等で真っ暗ななか、JC活動どころではない状況だった。すべてが自粛という雰囲気でみんなが下を向いていた時期だった。3月頃というのは日本JCのスケジュールだと、7月のサマーコンファレンスの議案上程が行われる時期で、正副理事会の中でもサマコンをどうするという議論になっていた。そんな中、当時の福井会頭は「サマコンは絶対やる」と言い切ったんだよね。

福井会頭は東北の被災地に足を運び、現地のJCメンバーと話をしていた。そのメンバーから「今、自分たちはJCどころではないが、いずれ自分たちのまちが復興できたときにまちの為に活動をしていきたいと考えている。いつかまたサマコンや京都会議に参加できるようになることは自分たちの希望なのです」という話を現地で聞いていたらしい。

その話を聞いて、トップいうものはこうあるべきだと強く感じた。本当にみんながきついときに、ゆるぎない信念で、方向性を打ち立てる姿を見ることができたのは私にとってはいい経験になった。直接的なボランティア活動を通して支援をする形も大切だが、動けるメンバーだけでもいいからJC活動を継続させること、その年の青年会議所の活動を止めないということで希望になる道を選んだことは素晴らしいことだといまでも強く思う。

いまのコロナの状況も同じで、なかなか集まれない状況かもしれないが、「俺たちがまちのことをやらなければ、誰がやるんだ」という強い気持ちをもって活動をしてもらいたいと思う。行政や他の誰かを頼っていてもしょうがない。JCという組織はそういう意味でも稀有な存在であり、苦しい状況でもみんながしっかり頑張ってくれていることは、シニアの身としても現役のみんなの活動を嬉しく思っている。

Q5.家庭と仕事とJCのバランスについて気を付けていたことなどはありますか?

理事長時代に、理事長チームとしては「午前中に公務は入れるな」というルールで行った。優先順位としては仕事が優先であり、その次にJCがある。家庭はまた別枠であり、家庭はすべての原動力であると考えている。

Q6.JCを経験したことで自身の仕事に活きたこと思うことはありますか?

2002年にラスベガスでの世界会議に、2004年世界会議福岡大会誘致へのキャラバンに行くことになった。福岡からチャーター機を飛ばしてラスベガスに行った。当時の山崎福岡市長にも搭乗していただき、メンバーと親しく交流していただいた。世界会議誘致や、その開催に向けて活動を通して経験することで、海外に行くことへの抵抗感がなくなった。

当社は国際物流も事業として行っているが、僕が社長就任後、中国やベトナムでの会社を作り、海外展開にチャレンジした。ベトナムのプロジェクト自体は失敗に終わったが、弊社が撤退後ベトナム人の責任者が独立し、いまはその会社と仕事ができていていい関係が築けている。

簡単にいうと、JCの経験を通して、各地に信頼できる仲間ができて、ビジネスにも活きるつながりを得ることができたという風に考えているが、短期間に売り上げが上がるようなことはないかな。信頼しうる仲間の作り方を学んだことが最大の経験だと思う。

Q7.富永先輩の夢って何ですか?

私は物流のプロフェッショナルとして、社会に貢献すること。

三代続いている会社の信頼を自分の代でも積み重ねていくこと。

お客様に喜ばれる会社であること。

社員が働き甲斐のある会社であること。

Q8.現役メンバーにメッセージを頂けますでしょうか?

福岡に住んでるもしくは仕事をしている人が福岡のまちの為に活動するのは当たり前であり、シニアになってもその意識は変わらない。

JCは各業界の青年部などの団体とは違って、業種や人生経験が全く違う中で苦労を共にして、汗をかき、腹を割って話せる仲間を作れる大切な40歳までの限られた期間であると考えている。コロナ禍という困難な状況のなか、新しいアイデアや活動が生まれていて、チャレンジを続けていることに対して、私たちはOBとして現役で活動されている皆さんを誇りに思う。

Q9.入会に迷っている未来のJCメンバーに対してメッセージを頂けますでしょうか。

ビジネス上のお付き合いは大切だが、ビジネス以外の知り合いをどれだけ作れるかということが、人間の幅を広げることに繋がると考えている。JCは同世代で利害関係のない仲間と福岡のまちの為にという共通意識の元、共に汗をかき、腹を割って話せる仲間ができる稀有な存在であると思う。

JCを振り返ってみると、事業が成功したかどうかは問題ではなく、一生懸命目的に向かって努力することが大切だと思う。それを見ている仲間は必ずいて、本気で一生懸命やっている人は本当の仲間ができる。仮に何らかの理由で参加できない時期があったとしても、その苦しみは必ず仲間に伝わるし、それはビジネスにおいても同じであると考えている。

そういったことを、学び経験できる団体であるので、迷わずに飛び込んでみたほうがいいと思う。

~あとがき~

日本JCの副会頭を歴任された中で様々な経験をされてきた富永先輩のお話は、スケールの大きさや事業規模など計り知れないお話がたくさんありましたが、JCの根底にある、「ともに汗をかき、苦楽を共にするなかでの仲間作り」は我々にも共感できる部分でありました。

また、先輩として「福岡JCを誇りに思う」と言って頂いたことは全JCメンバーに声を大にして伝えたい一言でした。

最後になりますが、富永先輩におかれましては、本当にお忙しい中1時間以上もお時間を頂き、たくさんのお話を聞かせて頂きましてありがとうございました!

次回もお楽しみにお待ちください!!!

***【Focus!!⑥】福岡倉庫株式会社 富永太郎先輩***

インタビュアー:JCIFUKUOKA発信委員会 委員長 原 翼

                    JCIFUKUOKA発信委員会 副委員長 板谷 和樹

ライター   :JCIFUKUOKA発信委員会 委員 二塚 征爾

カメラマン  :JCIFUKUOKA発信委員会 運営幹事 島 雄一

スペシャルゲスト:JCI福岡 副理事長 西嶋 聖

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