委員会ブログ

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2021年06月07日

【Focus!!⑩ 】 筥崎宮 田村 邦明 先輩

みなさまお疲れさまです! JCI FUKUOKA 発信委員会の黒川です。

当委員会では、福岡JCの偉大なる先輩たちや福岡にまつわる著名な方々にお話しを伺うインタビュー記事【 Focus !! 】を連載していきます。

【Focus!!】第10段✨✨            今回は筥崎宮 宮司 田村 邦明先輩にお話を伺って参りました!!

Q1 入会のきっかけを教えてください。

父も入会していたのでいずれはという気持ちはありました。

神職資格を取得し大学卒業後は修業の身ゆえ、東京の明治神宮で神職の仕事に奉職し、7年を経て福岡に帰ってきたのが30代初めでした。筥崎宮に戻ってきてすぐに入会というのも一つの方法だったのかもしれませんが、どうしても仕事や年齢の関係上、県内青年神職の会の役員として活動をしていかなければならず、その当時は必然的にJC入会を断念しました。

そうこうしていたら、30代後半となり、さらに青年神職会の会長職が回ってきて、同時に博多21の会という異業種交流会を父から引き継ぎ名義変更で入会する時期とちょうど重なってしまった頃で、本業の外に2つの団体に関わっている状態でした。

福岡JCは最低3年在籍(37才の年までに)という入会条件がある中で、外部団体で役職を受けていて、神社の奉仕もままならない日もあり、地元ゆえに色々と覚えなくてはならない祭事も多く、そんな状況の中でJCに入会するかどうか迷っていました。

ちょうど入会させていただいた年のお正月の参拝に井上貴博さん博行さんご兄弟(ご両人とも歴代理事長)がいらっしゃって、37才になる年(入会ラストの年)にお話をいただきました。

本当に迷いましたが、入って後悔するのと入らず後悔するのはどちらがよいかと考えた時に、入って後悔する方がいいと思い入会を決めました。

Q2 忘れられない思い出は何ですか?

仮入会のオリエンテーションです。

当時、すごく大きな期待をしてオリエンテーションに臨んだのを覚えています。

その年は予想以上のかなり厳しい研修委員会で大変でした。

当時は人数が多く(32人入会予定者)、4人1組の班に分かれての1分間スピーチをし、時間内に収まらなかったら罰盃だったり、普段の社務も忙しい中にオリエンテーションやその他の催事の為に同期メンバーと集まって、出し物や役割の打ち合わせをしたりと準備も手間暇かかるし、最初は一体何をやっている団体なんだろうと思うことがありました。少し冷めてみていた部分があったのかもしれません(笑)

3ヶ月後には次の仮入会の人たち入ってくるので、研修を持ち越しするわけにはいかないし、仮入会中の委員会訪問だけでも規定ノルマの6回を超えた回数でクリアしようと、個人的なことですが、第一の目標として奮闘していました。特にオリエンテーションでは班や同期入会の仲間同士お互いに気をつけながら失敗しないようになんとかがんばったのを覚えています。

理不尽に感じることもあったけれども、それに耐え、同じ班のメンバーを始め同期の仲間とは色々な事を含め一緒に苦楽を共にしながら達成感を実感できたことが最大の思い出です。

今振り返ってみると、入会にあたっての決まり事には何とも言えない思いもありましたが、入会する為には遣り遂げなければならないという一つの使命感があったから皆で協力してどうにか乗り越えられたのかもしれないですね。

Q3 出会えてよかった人や、忘れられないアノ人のアノ一言など思い出深かった人などいらっしゃったら教えてください。

みなさんそれぞれに思い出深く、卒業後もお付き合いのある方はいらっしゃいますし、現役時代に全く関わりが無かった人とも今になってご縁が繋がる方もいる状況です。

当時のJC現役メンバーの上の方、役職に就かれている方々は何となく近づき難い感じでしたが、卒業後、様々な社交の場においてお付合いさせていただくと実は全くそうではなく、そのギャップが大きく面白く感じることが多くなりました。それだけ現役時代は「特殊なJC色眼鏡で」見ていたのだと思い反省しています。

父がJCメンバーでしたので、異業種の交流活動を通して同郷の同世代の方々とのご縁を頂いて、ワイワイ賑やかにやっていた姿を子供ながらに見ていましたのでJCの存在は漠然と知ってはいましたが、実際、入会前はJCの具体的な活動や趣旨はサッパリ分かっていませんでした。

入会当時のパンフレットにずっと前に卒業された先輩の言葉が綴られていてその中に『自立自尊の精神で物事を成し遂げて行かねば駄目である』という旨のことが書かれている一文を目にした時、戦後復興と共にJC活動が産声を上げ、故郷を核に全国的に展開された創成期にあたり先輩の祖国再建の矜持が、その言葉に込められていると印象深く感じたことを覚えています。

当時の先輩方はJC活動を通して、地域づくり、街づくり、人づくりを担うリーダーを輩出していこうという気概に溢れていました。先輩方が今日までに築き上げてきた想いはそこにあると確信しています。私達の神社もなんですが、同じように国を想い、歴史を想い、次に繋げていく為の生き方をしなければならい、そういった部分で強く共感できることころがあったのも良かったですね。

Q4 JC活動を積極的に行えていないメンバーに対するメッセージをいただきたいです。(田村先輩ご自身も入会当初はあまり積極的でなかったと仰っておられましたが人生を振り返ったときに「福岡JCに入って良かった」と思える点などありましたら)

自分の経験上のことですが、現役時代を含めて若い時はどうしても「損得」や「費用対効果」で物事を判断して取捨選択することが多かったように思います。

しかしそれはあまり良くないことで、お詫び申し上げます。今ここに改めて反省を込めてメッセージさせていただきたいと思います。

入会動機は人それぞれで、時間的、金銭的な条件を含め様々な状況の中で活動に参加されていると思います。

単純に好き嫌いで物事をみてしまうこともあるでしょうし、JCの枠に囚われたり、無関心であったり、そのような自分自身に葛藤することもあるでしょう。様々な事情があると思います。自分と他人はお互いを映し出す「鏡」なので、どうせ映すならば少しでも美しい方がいい、志を同じくする福岡に住む若人の集いで、気力も体力も充実している中で、若者たちが各々で考え、行動し、気持ちをぶつけ合い、切磋琢磨する。「鏡同士」そう心がけることによって自他共に精進すれば、仲間を思う気持ちが芽生えてきます。

自分以外の人に対する気持ち「愛」「思いやり」そういった気持がそれぞれあればいい方向へとまわっていきます。先ほどの先輩の言葉でいうと『自立自尊の精神』で物事に体当たりで臨んでいく。

陰陽でいうと「陰」だけでもダメ、「陽」だけでもダメ、「陰陽」の両方がないとバランスが取れないように悔しさ、怒り、悲しみ等がないとそれらを乗り越えた先にある喜び、嬉しさ、楽しさ等を実感することができない。物事の善し悪しはその連続の中にあります。色んな形や状況を自分の中で冷静に把握していけるかが大切だと思います。例えば「恥 (端)を掻き掻き丸くなる」とありますが、これは端を欠く(恥ずかしい思いをする)ことによって心の角(カド)が取れるから人は丸くなれるんですね。

答えは一つではないし、自分の状況を見つめ見極めてしっかり把握したうえで参加して、世の中に貢献していければいいのではないかと思います。

当時、入会しても友達がいないとおもしろくないよって言われて、入りたての頃は「初顔合わせ状態」の中で心細い思いをしましたが、お陰様で多くの友人を得ることができました。皆さんもたくさんの仲間を作ってください。

精神的、肉体的に無理がきかない今の年齢の感覚で当時を振り返ってみると、仮入会の研修の最初の時点で入会を辞退したかもしれません。私にとってはあまりにも衝撃的で、脳のしわが増えるような、それも余計に増えるような「大事」な刺激でした。社会人となって40の初老を迎えるまでに、一度はこの「有益な衝撃」を体験してみるのも必要なのかも知れません。そのような意味で、今となっては本当に良かったなと思います(笑)

そういったものをも踏まえた上で精練されての40を過ぎて50、60、更にそれよりも高い年齢に向かって生きていく為の指針が定まって行くのではないかと感じているところです。

40の初老を迎えるまでには脳みそが震える程の衝撃が新社会人の研修以後、一度は必要なのかもしれません。

Q5 福岡JC現役メンバーにメッセージをお願いいたします。

オリエンテーション、近出、送り出しと色々委員会の懇親を深める場があります。

元気いっぱいなのはいいことだと思いますが、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」の言葉のごとくメリハリをつけて度を超すことのないように活動をしていって欲しいです。要領のよさも個人差がある。その辺は上手な先輩がたを手本にしたら、いいと思う。真似る場所でもあると思うから。学ぶという言葉は真似る(まねぶ)という言葉からきている。いい真似をした方がいい!

たくさんの方とお会いする機会がいっぱいある中で、ステキなメンバーや先輩方がいると思います。そういった方達にお会いした時はどんどん良いところを吸収していってほしいです。

そして、自分の中で完結するだけではなく後から入ってくるメンバーへ道しるべを残してほしいと思います。

Q6 入会を迷っている方々へのメッセージをお願いできますでしょうか。

学生の時のようにテスト勉強に身を置いていると、「答え、結果はこれだけ」ってなるけれども人生においては答えは「これだけ」ではないし、そういった一元的ではないところに意識を向けてみると色んな気づきや学びが多いものです。働き盛りの若人が会社組織とは別に、普段とは異なった環境に身を置くことで友を得て、「習得」「体得」「会得」を実感すると思います。

経験したことを経て、それぞれの生まれ育った世代や年代は違いますけども想いや気持ちは共有できるし、私自身も学ばせてもらっています。その連続が覆すことのできない現実で、その物事の原理原則を意識することが大切です!。

50を過ぎた現役生みたいな感じで、去年みなさんの活動にご一緒させてもらったのもいい思い出ですし、そういった場に立つきっかけもJCメンバーだったからできている部分もあります。先ほどの「真似る」ではありませんが、現役の皆さんの活動を間近で見ていて、やはり真似しなきゃと感じましたし、新たに学びや気づきをいただいた大変有意義な有難いひと時でした。

結果はわかりません(卒業してからのお楽しみかもしれません)が、JCは必ず40で終わるし、永遠にJCをするわけではないし、事業年度も原則1年で終わる仕組みです。ちゃんと区切りがあるのでチャレンジしてみたいと思ったら、是非ともJCの活動に参加してみてはいかがでしょうか。

 

とがき

まさか田村先輩にお会いできる機会があるとは思っていなかったのでとても緊張してしまいました。(カメラ小僧役なのに)始めは少し先輩も緊張されているご様子でしたが、照れながらも当時のことを色々とお話ししてくださいました。

年代は違いますがJCを通して色々と共通した話題も多く、またさらにもっと経験をされてきた先輩のお話は、とても勉強になりました。

インタビュー終了後も資料館を田村先輩自ら説明してくださったり、偶然にも宝物調査の場に居合わせていたので、特別に豊臣秀吉公の奉納の宝物(天正15年6月〈1587〉九州平定により、筥崎宮に赴き箱崎茶会を催し、博多町割りを指揮の折に賜った和歌短冊の表装絵巻まで見せてくださったりと大変貴重な時間を過ごさせていただきました。

快くインタビュー記事にお時間作っていただいた田村先輩 本当にありがとうございました😊

 

***【Focus!!10】筥崎宮 宮司 田村邦明先輩***

インタビュアー:JCIFUKUOKA発信委員会 委員長 原 翼

ライター   :JCIFUKUOKA発信委員会 委員 黒川 悠子

カメラマン  :JCIFUKUOKA発信委員会 委員 黒川 悠子

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